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10 立ちはだかる者




 レナード……。じゃあやっぱり、夕べ降りてきた船は【ロンリーウルフ】のシルバー・アルカディア号だったのか。
 できることなら会いたくなかった。カイン以上に。
 レナードはゆっくりと近づいてくると、俺たちの真正面に立った。
 二人のイヌ族のクライアントは、長い数十秒の間、無言のまま相手を観察し合っていた。
 初対面ながら、お互い絶えず意識してきた、せずにいられなかった存在。はちきれんばかりの緊張がホールを満たす。
 よく見ると、レナードの顔にはちょうど鼻の上を斜めに横切るように大きな傷跡が走っていた。まるで映画に出てくる海賊かヤクザのようだ。端正な顔立ちが、その傷ひとつで台無しになっている。
 気性の激しいウルフドッグだけに、他の犬と激しい闘争を繰り広げた挙げ句、負った傷だろうか。それで施設に引き渡されることになったのか。ジュディとレナードを元の世界で引き合わせなくて正解だったと思う一方で、いま目の前にいる本人からは荒くれ者らしい雰囲気は感じ取れず、傷から受ける印象とのギャップは否めない。
 しばらくして、自分がまだ名乗り返していなかったことに気づき、ジュディがゴクリと唾を飲み込んでから口を開いた。
「ボクはジュディだ」
「うむ。(あるじ)からいろいろと話は聞いている」
 張り詰めた空気を少しでも和らげようと、俺が質問に立った。
「二体の神獣の従者はおまえが倒したのか?」
「一頭くらい残しておかぬと、おぬしたちとて物足りなかろうと思ったのでな」
 軽くうなずく。答えるまでもないといったふうだ。
 俺からジュディに視線を戻したレナードは、やや棘を含んだ口調で言った。
「私としては、もっと早くおぬしの顔を見られるものと思っていた。主が目をかけた者が、主に挨拶のひとつもよこさぬ礼儀知らずな輩だとは思わなかったぞ」
 表情を見る限りでは、ジュディに対する挑発というより、本気で怒っていたみたいだ。あまり融通の利かないタイプかもしれないな……。
「なんだと!?」
「よせ、ジュディ!」
 融通が利かないのはこっちも同じか……。俺は彼女をかばうように前に出て、レナードに事情を説明しようとした。
「【カンパニー】が【ロンリーウルフ】との対戦を避けたのは、俺とミオの判断だ。彼女の意思じゃない」
 俺の言い訳に対し、レナードは顔をしかめて辛らつに言い放った。
「ふん、ホストもクライアントもそろって腰抜けということか」
「この野郎、言わせておけば! トウヤを侮辱することは許さないぞ!!」
 剣の束に手をかけてジュディが叫ぶ。今にも抜きそうになったため、俺はあわてて彼女の腕を引っ張った。自分も冷静になるよう努めつつ、レナードに向かって言い返す。
「これまでずっと積極的に動くことをしなかったのは【ロンリーウルフ】のほうだろう。いまごろになって突然気が変わったのか?」
 レナードは目を細めてじっと俺を見た。ゆっくりと剣に手を伸ばすと、鞘から抜いて一振りする。
「答えが知りたくば、この剣に聞いてみるがいい」
 ジュディも同じように剣を抜いて身がまえる。
 と、彼はそこで意外な行動に出た。
「だが、その前に……」
 胸もとからゲートキーを取り出し、ジュディにヒールをかける。あれはひょっとして、治癒効果の最も優れたクリスタルの宝玉だろうか? 道理で、これまで対戦したどのチームも持ってないと思ったわけだ。
「施しなんか要らないやい!」
 ジュディが強がって抗議する。ケルベロスとの戦闘で受けた毒と火傷と噛み傷によるダメージは、それほど浅いものではなかったので、本音としてはありがたかったが。
「意地を張るのはよせ。傷ついた相手を打ち負かすのは、私の本意ではない」
「おまえだって従者と戦ったんだろ?」
 それもこっちは一体、あいつは二体。時間的に余裕があったとしても、見たところレナードは傷一つ受けずに完勝したように見受けられた。
「そのくらいのハンデはあってもよかろう」
 落ち着き払った態度で言ってのけるレナードに、ジュディはイライラと癇癪を起こして怒鳴った。
「くそ、バカにしやがって!」
「おい、ジュディ、落ち着けよ。あいつはおまえを挑発してるだけだ。はまったら思うツボだぞ」
 カッカきているジュディのそばに寄って諌めようとする。だが、ジュディの興奮はなかなか鎮まらない。尻尾の毛も爆発したままだ。
 ジュディをクールダウンさせる意味もあって、俺はレナードに別の質問をぶつけてみた。
「おい、レナード。クライアントのおまえがゲートキーを持っているのか? 結莉はどこにいるんだ?」
「主はアルカディアで待機しておいでだ。わざわざご足労いただくこともない」
 そうか……結莉も来ているのか。
「おねえちゃんが……」
 ジュディがかすかにつぶやく。ちょっとまずい質問だったかな……。
「おぬしがわが主の縁故の者だろうと、手加減はせん」
「上等だよ! ボクだって、おまえが弟だなんて思うもんか!」
 ……。もしかして、彼女は結莉を介した二人の関係を姉弟とみなしてるのかな? 本人は自覚してないんだろうけど。どのみち、見た目はどう見たってレナードのほうが兄貴分だよな。
「トウヤ。絶対に手出しはしないでくれ」
 こちらを見ずに懇願する。
 レナードはジュディにとって、他のチームのどのクライアントとも違う、倒すべき、越えるべき宿敵だ。
 結莉という、彼女にとってかけがえのない大切な人への想いを清算する──いや、確かめるための。
 負けるな、ジュディ! 俺はおまえを信じる!!



 ジュディは眼光鋭く敵を見据えると、剣をかまえた。
「たああああぁっ!!」
 先に打って出たのは彼女のほうだ。
 ギンッ!!
 甲高い金属音とともに、二人の剣がぶつかり合う。視線と刃が交錯する。
 傍からも、二人の間で激しい火花が飛び散っているのが目に映るようだ。
「剣圧が浅いな」
 ラッシュを浴びせるジュディの剣を、レナードは余裕の表情で受け流す。
「せい!」
「くっ!」
 不意に動きが鋭くなったかと思うと、まるで押し切るような一太刀を浴びせる。ジュディはなんとか自分の剣で攻撃を受け止めたものの、後ろに数歩分後退した。
「ジュディ!!」
「来ないで! 大丈夫……」
 思わず駆け寄ろうとした俺を押しとどめる。
 ジュディは腰を落とし、一段と深いかまえを取った。呼吸を整え、微動だにせず精神を集中し、敵に照準を定める。
「さっさと蹴りをつけてやる! 白銀狼牙!!」
 白銀狼牙──この半年、俺が仮想敵の役目を引き受けた訓練や、モンスターとの実戦で磨いてきた、イヌ族の剣技の奥義中の奥義だ。物理攻撃の中では、各種族のスキルのうちでも隋一の破壊力を誇る。
 実は、白銀狼牙は消費する魔力の量もずば抜けているため、チームバトルでは一度も使用したことがない。そして、ジュディの白銀狼牙を受け、再び立ち上がることのできたモンスターもこれまでいた試しはなかった。
 ギャイイイイン!!
 遺跡中をつんざくような大音響が響き渡る。
 レナードはジュディの渾身の一撃を受けきっていた。眉一つ動かさずに。
 種族の特殊スキルは、耐性を持つ同族に対しては効果が薄い。だが、それにしても、レナードにはダメージを被った様子がまったく見受けられない。
 さっきと同じように、ジュディは体ごと弾き返されてしまった。
「くそぉ……」
 再び立ち上がって剣をかまえたジュディに、レナードが剣先を向けながら厳かに言った。
「本物の白銀狼牙を見せてやる」
 風が掠めただけに感じた。動きがまったく見えなかった。ただわかったのは、瞬きをした次の一瞬に、ジュディの体が十メートルも吹っ飛ばされたことだけだ。
 床にたたきつけられた彼女は、「うぐっ!!」と苦痛のうめき声をあげた。
「ジュディッ!!」
 ぐったりと地に伏したままのジュディに駆け寄る。
 深いダメージだ。肉体だけでなく、精神的にも。
 レナードは格が違いすぎた。本気を出したら、間違いなく七チーム中最強に違いない。ウルフドッグの白銀狼牙に比べれば、和犬のミックスの放つそれなど児戯に等しい。
 レナードは剣を鞘に収めると、背中を見せて冷たく言い放った。
「ゲートキーを置いていくかどうかは、おぬしたちの意思に任せる。この遺跡から立ち去れ。神獣アヌビスの召喚術は、わが【ロンリーウルフ】が手中に収める」
「ま……待て……」
 ジュディは荒い息をしながら上体を起こした。
「おいよせ! もう戦闘は終わりだ!」
 俺の手を払いのけるようにして、彼女は自力でようやく立ち上がった。
「まだ勝負はついちゃいないぞ……」
 レナードはその場に立ち止まると、振り返ってジュディをじっと見つめた。
「次は命の保証はせん」
 低い声で宣告する。はったりには聞こえない。
 うろたえた俺は、二人の間に割って入ろうとした。
「レナード、もう決着はついた。ホストの俺が負けを認める。宝玉も好きなのを選んで──」
「トウヤ! ボクは負けちゃいない!!」
 何者にも曲げることを許さない鋼の意志を声に表す。
「無理だ、ジュディ! その体じゃ……。いまの白銀狼牙を見ただろう!? あいつに勝つことなんて不可能だ!」
 俺が両肩を抱きかかえようとすると、彼女はそっとその手に触れ、今度は穏やかに首を横に振った。
「トウヤ……覚えてるよね? おねえちゃんがカナダに行っちゃって、ボクは寂しくて寂しくて、毎日ずっと夜通し鳴き続けた。何日も、何日も。トウヤのことなんてどうでもよかった。こんなやつ、おねえちゃんの代わりになんかならないって。おねえちゃんが帰ってきてくれなきゃいやだって。そう思ってた……。
「トウヤも、最初はオロオロするだけだったね。ボクが夜も眠らず、ご飯も咽喉を通らずにいたら、自分も一緒になって徹夜して、ご飯も我慢して抜いて。ただ泣きわめくばかりのボクのそばにずっといてくれた。そのうちボク、泣き疲れちゃって、眠っちゃったんだ。トウヤのベッドの上で。ふと目が覚めたら、トウヤが隣でボクを抱きながら眠ってた。ボクが起きたのに気づいて、『ごめんごめん、俺まで眠っちった』って、笑いながらボクのことなでてくれたっけ。
「ボクが寂しいとき、ボクが不安でいるとき、ボクが必要としているときに、ボクのためにそばにいてくれたのが、ボクを支えてくれたのがトウヤだった。向こうの世界じゃ何もできなかったけど……でも、ボクはトウヤの人生を、トウヤの運命を取り戻すためなら、たとえどんなに不可能に思えることでも可能にしてみせる!!」
 ジュディは両の足ですっくと立ってレナードに向き直ると、呪文の詠唱を始めた。
「エレクトⅢ!」
 エメラルドの宝玉が持つ雷属性の最上位魔法を、自らの剣に吸収させる。雷が苦手なイヌが多いせいか知らないが、イヌ族にとって雷属性は弱点だ。ジュディは痛恨のダメージを受けてボロボロになりながら、あえてその魔法をわが身にかけたのだった。
「雷電狼牙!!」
 ミオと二人で研究して編み出した、種族の奥義をも凌ぐ超奥義の必殺剣でもって、ジュディはいま、生涯最強のライバルに向かって全力で挑んだ。
「でやあああああぁぁぁっ!!」
 レナードが、ジュディの剣の倍ほどもある大剣で、彼女の必殺技を受け止めようとする。
「ぐぅっ!」
 ジュディが押していた。さしものレナードも、エレクトをかけた最強物理攻撃は相当効くと見える。
「おぬし……死ぬのが恐くはないのか?」
 間近で視線を交わらせながら、レナードがジュディに問いかける。
「恐いさ。でも、家族を失うことのほうがもっと恐い!!」
 すさまじい雷電のスパークで、トウヤには二人の姿すら見えなくなった。
「ぬおおおおっ!!」
 ついにジュディの底力がレナードの防御を打ち破った。巨躯がホールの壁にたたきつけられる。毀れた剣が回転しながら床に落ち、カランと音を立てた。
「やった、ジュディ! 勝ったぞ!」
「はあ……はあ……う、うん……」
 ジュディは肩で息をしながら返事をした。立っているのがやっとの様子だ。さすがに全力を絞り尽くして、もう体力も気力も空っぽなんだろう。
「う……く……」
 しばらくして、レナードはようやく肘を突いて上体を起こした。ジュディが手を差し出して立たせてやる。
「なるほど……これがおぬしの決意、おぬしの覚悟か……。見事であった。私の完敗だ……」
「へへ」
 ジュディはここでようやく笑顔を見せた。その後すぐに心配そうな表情を見せる。
「ごめんね、レナード。痛くない? きれいな髪だったのに。あ~あ、服もこんなにボロボロになっちゃって」
 すっかり姉貴分気取りだな、ジュディのやつ。
 彼女の言うとおり、レナードの美しいグレーの髪は乱れ、服も黒焦げになって、ところどころ穴が開いている。
 ふと見ると、破けた服の間から白い布がのぞいていた。俺は驚きに目を見張った。上半身はほとんど包帯でグルグル巻きの状態だ。手当てをしたのはもちろん結莉だろう。
「!? おまえ、そんな体で戦ってたのか!? そのケガは一体だれにやられたんだ!?」
「【ジョーカー】だ。不覚であった」
「まさか、おまえまでカインにやられるなんて……。やっぱりバステッド神の召喚か?」
「うむ。通常戦闘で、私はいままでおぬしたち【カンパニー】を除くすべてのチームの挑戦を退けてきた。私の使命は、ただ主をお守りすることだけだ。勝負を申しこまれれば受けて立つまで。無論、主の命とあらば、打って出ることもやぶさかではなかったが。主はゲートキーを集めることをずっとためらっておられた。参加チームの中に、おぬしがいることを知ってからは」
「え? 俺?」
 レナードはじっと俺を見つめて先を続けた。
「主が何を望まれているか、主の気持ちは私にはわかっている。だから、主が望むままにあえて戦闘に加わることをしなかったのだ。しかし、状況が変わった。ルール変更で召喚術が加わると、バランスが崩れた。私は召喚術を手にした【ジョーカー】を退けることができず、ゲートキーを一つ奪われてしまった。であればこそ、主をお守りするためにも、是が非でも私自身が召喚術を入手する必要に迫られたのだ」
 そうだったのか……。
「だが、おぬしたちがこれほどの意志と強さを兼ね備えているならば、もはや私が参戦する理由はない。ゲートキーは二つとも持っていけ」
「え? い、いいよ。ルールどおり一つにしようよ。おねえちゃんにだって確認してないし」
 レナードがゲートキーを受け渡そうとすると、ジュディはあわてて押しとどめた。
「そうか……。おぬしがそう言うのであれば、何も言うまい。おぬしたち、トルマリンを持っているのであれば、クリスタルよりこちらのトパーズのほうが有用だろう。いまのおぬしたちは魔力の消耗が激しいから、補助系魔法の充実しているトパーズ一つでもかなり違うはずだ。本当の難関が待ちかまえているのはこの先だからな。他の五チームのこともあるし、あまりグズグズしている余裕はないぞ」
 レナードからそのトパーズのゲートキーを受け取る。これでやっと四つめのキーがそろった。といっても、カインに取られた分を埋め合わせただけだが。目標の十一個まではあと七つ。道のりは遠い。
「レナードはどうするの?」
「しばらくここで休んでいよう。おぬしが無事に召喚術を手に入れたのを見届けてから、アルカディアに戻るつもりだ」
「ちゃんとヒールをかけろよ。結莉をあまり心配させちゃダメだぞ」
 俺が注意すると、レナードはジュディを指して言った。
「うむ。承知している。だが、私以上に回復を必要としているのは、やはりおぬしのようだ」
 そう言って、ジュディにクリスタルの魔法、完全回復のヒールⅢをかける。
「ありがとう、レナード」
 ジュディは照れ笑いしながらうつむき加減に礼を述べた。ちょっと頬を赤らめたように見えたのは、俺の気のせいだろうか?
「遺跡の中心部はこの先の通廊を奥に進んだところだ。情報は得ているだろうが、神獣と交信する試練は生半可なものではないと聞く。心を読んで挑戦者の意志を試すのだと。油断は禁物だ。おぬしの揺るぎない決意のほどは、もうこの目で十分確かめさせてもらったが、己の信じる道を決して見誤らぬように」
「うん、わかってるよ」
 励ますレナードに、ジュディは力強くうなずいた。
「武運を祈る」
 固い握手を交わすと、レナードは俺たちにもう行けと顎で促した。
 最後の長い通廊を二人して歩いていく。
 周囲を満たしていた不思議な照明は、遺跡の入口から離れるにつれて暗くなり、いまではほとんど真っ暗に近かった。どこからか、脈動する心臓の鼓動のような音が聞こえてくる。はじめは自分の動悸かと思ったが、その音は次第に大きくなっていった。まるで、この遺跡そのものが息づいているかのようだ。
 もうすぐ遺跡の中心部に到達する。そこには、イヌ族の守護神獣アヌビス=ローフの祭壇が置かれているはずだ。
 いよいよこの先で、イヌ族の神との対面が待っている──

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