結莉の手から放たれた雷の矢が、いましもジュディを消し去ろうとしたとき──
だれかが彼女を突き飛ばし、代わりに裁きの光をまともに浴びた。
「ぐぅっ!!」
「レナード!! どうして!?」
よく見ると、彼はジュディの雷電狼牙を受けた傷を癒していなかった。あれほど回復しろと言ったのに。
心配そうにかがみこんだジュディを、レナードは厳しく一喝した。
「バカ者! おぬしはあれがわが主だと申すのか!? それはわが主に対する愚弄だぞ!!」
「だ、だって、匂いも何もかも全部……」
パンッ!
抗弁するジュディに、レナードはいきなり平手打ちをかました。ジュディはポカンと口を開けて彼を見つめる。
レナードは今度はトーンを下げて、優しく諭すように言った。
「落ち着け、ジュディ。目や、耳や、鼻に頼るのをやめろ。〝心の鼻〟を使うのだ。思い出せ。わが主の匂いを。わが主の存在そのものを。おぬしの心の中にいるわが主はどんなだ?」
ジュディは目を伏せると、じっと結莉の面影を思い浮かべた。
「おねえちゃんは……あったかくて、いい匂いがするよ……そう……心がポカポカしてくる、あったかい人だよ……」
レナードはうなずくと、再びジュディに目を開かせた。
「さあ、どうだ。あれはおぬしの元主なのか?」
ジュディは毅然とした表情で首を横に振った。
すっくと立ち上がる。後ろを振り返ると、彼女はちらりと俺のほうを見た。俺がだまってうなずくと、力強くうなずき返す。その顔にもう迷いはなかった。
「飛燕剣!!」
ジュディの放った遠隔剣技は、襲い来る光弾を切り裂き、さらに結莉の心臓をも貫いた。
結莉の姿は細かい光の結晶の粒となって飛び散った。光の雨が、俺たちの頭上にキラキラと瞬きながら舞い降りてくる。
ジュディの頬を新たな涙がつっと伝っていった。
本当の心をずっとごまかそうとしてきた……そんな自分との決別を意味する涙だった。
「見事だ、ジュディ……」
そう言うと、レナードは目を閉じた。首ががくっとうなだれる。
「レナード!? レナード、しっかり……しっかりしてっ!!」
横たわるレナードのもとに跪き、彼の頭を抱えると、ジュディはほとんど悲鳴のような声で叫びつづけた。だが、彼女がどんなに名を呼んでも、レナードは応えようとしない。
「そんな……レナード……死んじゃやだよ……だって、まだ知り合ったばかりなのに……おねえちゃんになんて言えばいいんだよ……ボク、顔向けできないじゃんか……いくら召喚術が手に入ったって、レナードがいないんじゃ、ボク……ボク……」
悲痛な面持ちでいた俺たち二人の後ろに、もう一人の人影が現れた。
「!? おねえちゃん!」
俺は一瞬焦ったが、今度は正真正銘の本物だ。
「おねえちゃん、レナードが!」
結莉は俺たちに向かってひとつうなずくと、すぐに自分の大切なクライアントのもとに駆け寄った。
ジュディと場所を入れ替わると、膝の上で彼の頭を抱きかかえる。
結莉はしばらく険しい表情でレナードの容態をチェックしていたが、おもむろに面を上げた。その顔に憂いの影はない。
「大丈夫……気を失っただけよ」
そう言うと、レナードの手をそっと握る。二人の周囲をほのかな虹色の光が包み込んだ。清冽な空気が辺り一面に充満する。
「お、おまえ……もしかして宝玉魔法が使えるのか!?」
いや、考えてみれば、彼女は魔力を持たないニンゲンだ。それに、よく見るとこれはヒールⅢじゃない。これは……そうだ、クレメインの森で強敵のモンスターに襲われたとき、俺たち三人が体験したのと同じ光だ。
ESB──。
俺がかすかにつぶやくと、結莉はこちらを向いてこくっとうなずいた。
「一応ね、何度か練習してみたの。意識的に制御できるようになるまでは、だいぶ時間がかかったけど。だって、レナードったら、いっつも強がってムチャばかりするんですもの……。その分、ホストも少しは役に立たなくちゃね、フフ」
俺たちニンゲンが魔法を使えないのなら、代わりに俺たちにも備わっている唯一の超能力であるESBを積極的に活用できるようにと、試行錯誤を重ねたんだろう。さすが結莉だな。俺も少しは見習わなくちゃ。
「それにしても、レナード……今回はいままで以上に無理をしたわね。念のためアルカディアから医療キットも持ってきておいて正解だったわ。これじゃ、当分の間安静が必要ね」
そう言いながら、そっと銀色の前髪をなでつける。
「よかった……」
ジュディが心からホッとした様子で安堵のため息をついた。
レナードからジュディの横顔に視線を移し、しばらくじっと見つめてから、結莉は目を細めて言った。
「レナードのこと、心配してくれてありがとう」
ジュディも結莉に微笑みを返した。
「ううん。だって、一応弟みたいなもんだし、さ……」
それから、急に思い出したように頬を染めて下を向く。
「えっと……ごめんね、おねえちゃん。もっと早く挨拶に行きたかったんだけど、トウヤとミオのやつが渋るもんだから……」
「おいおい、そこでおまえが俺たちのせいにすんのか?」
苦笑しながら、ジュディの頭を軽く小突く。ジュディも笑いながら肘でつき返してきた。
「だって、ほんとのことじゃんか。あ~あ、もっと早く対戦してりゃ、ゲートキーをもう一個くらいもらえてたかもしれないのにさ」
「あら、ずいぶんな自信ね。レナードが目を覚まして、そんな言葉を耳に挟んだら怒るわよ? 『こっちは手加減してやったのに、その言い草はなんだ』って。次に会ったときにも勝てるつもりでいたら、痛い目を見ますからね!」
そう言って、結莉がクスクスと笑みを漏らす。
続いて彼女は、俺のほうに目を向け、頭の先から爪先までながめてからこう言った。
「背、伸びたよね」
俺はなんだか気恥ずかしくなって、ポリポリと頬を掻いた。
「な、何言ってんだよ、いまごろ」
「ありがとう。ジュディのこと……」
じっと見つめられ、俺はただ頭を掻きながら後ろを向くしかなかった。
「そりゃ、おまえに礼を言われる筋合いはないよ。ジュディは俺の家族なんだし……」
結莉は笑みを浮かべてうなずいた。
「あのね、トウヤ……私……」
彼女はしばらく言葉を探していたが、おもむろに首を振って付け加える。
「ううん。いいわ、いまは……」
閉じた瞼を再び開き、俺をまっすぐに見据えると、結莉は決然とした表情で宣言した。
「私、もう迷わない。あなたやジュディとだって全力で戦うわ。そして、私の願いを必ずかなえてみせる! 次に会ったときは容赦しないからね」
「望むところだ」
よかった……。俺の心の中でずっと泣いてばかりいた結莉が、本当の、笑顔の彼女に戻った。ずっと心に引っかかっていたつっかえ棒がやっと取れた感じだ。本気を出した【ロンリーウルフ】と再戦することを思うと、心の底では戦々兢々だったけど……。
おっと、いまはこうして和んでいる場合じゃなかった。まだやるべきことが残っている。
俺と結莉に送り出され、ジュディはもう一度祭壇の中央に立った。
──汝を吾子と認めん……ここに契りを成し、汝を我が加護のもとに置くものなり……汝、望みしとき、我が力を得ん──
まばゆい輝きがジュディを包み込んだ。
これで、守護神獣アヌビス=ローフとジュディとの契約が成立した。
ついにやったぞ! これで、俺たち【カンパニー】は間違いなく一歩リードしたんだ!
帰ってきたジュディが誇らしげに右肩を見せた。狼の牙を模した朱の刺青のような紋様が浮き出ている。これこそ召喚術を入手したことを示す験だ。
俺たちは互いに向き直って笑みを交わした。
遺跡から出ると、もう太陽は南中をすぎ、西に傾きかけていた。
「ミオのやつ、大丈夫かな?」
俺のつぶやきを聞いて、ジュディがポンと背中をたたく。
「あいつのことだからきっとうまくやってるよ。神獣を手に入れたのは、きっとボクたちのほうが先だったろうけどさ」
そうやって二人して空を見上げていると、はたして空の一角に白い光点が出現し、次第に明るさと大きさを増してきた。
「船だ!」
「サジタリウスか? ミオのやつ、まさかもう神鳥をゲットしてきたのか!? いくらなんでも早すぎないか?」
その場に立ってながめていると、光はやがて大きくなり、船の輪郭まではっきりと判別できるようになった。赤青ピンクの光が、船の外縁に沿ってクリスマスツリーの電飾みたいにチカチカと瞬いている。このけばけばしい船は──
「轟天号だ!」