声が聞こえてきたのはゴールデン轟天号の中からだった。エアロックに第五の人物が登場する。
それは、華奢な体つきをした【ミョージン】のサブクライアント、ハクビシン族の夷綱だった。
「お、おまえは阿倍野のとこの夷綱じゃないか!? 一体なんでおまえが【トリアーデ】と行動をともにしているんだ!?」
もしかして、ミオと同じように、何らかの理由で晴彰や葛葉と別行動をとったのだろうか? 力量差でいえば、【カンパニー】と【バードケージ】の縁組とは逆の関係だが。
と思ったら、ポカンと口を開いていたのは、ひろみを始め【トリアーデ】のメンバーも一緒だった。
てことは、まさか密航していたのか? よく気づかれずに轟天号に潜りこめたもんだ。船のAIだって検知しないはずないだろうに。
だが、知っていたのはどうやら夷綱だけではなさそうだった。
「み、みんな、ごめんなさいですの!」
ヒメが三人のチームメンバーに向かって土下座する。
「実は、夷綱さんがゲートキーを一つ貸してくれるって言うので、こっそり一緒に来ていただいたんですの……」
「おまえ、なんだってそんな大事なことおいらたちに隠してたんだよ!」
「だ、だって、アレキサンドライト一個だけじゃやっぱり心細いし……」
タロがヒメを責める。まあ、魔力のゲージが違っていたら気づくのが普通だけどな。
つまり、自チームのものでないゲートキーを所持していたから……正確には、そのことについて相手チームに合意を得ないまま対戦しちゃったから、【トリアーデ】は反則ということになり、いまの試合もチャラというわけだ。もっとも、反則を犯した場合は、相手チームにゲートキーを要求する権利が生じるから、ルール上はアレキサンドライトを俺たちのものにできるはずだが。
夷綱は鋭い目で一行を見回していたが、おもむろにヒメに向かって深く頭を下げた。
「ヒメさん。本当に申し訳ありません」
「いえいえ、困ったときはお互いさまですの」
のんきにお辞儀を返すヒメだったが、夷綱は重苦しい顔で説明を続けた。
「いえ、そうではありません。私はヒメさんに、こうお願いいたしました。ゲートキーを一つ貸す代わりに、【ミョージン】がイタチ族の守護神獣フヒュ=カーズの召喚術を入手するのに力を貸してほしいと」
「ええっと、そうでしたっけ?」
ヒメはこめかみに指を当てて首をひねった。ややこしい話にはついていけないタイプらしい。
「私たちはすでに惑星カーズの所在地を突き止め、認証アクセスの最初のステップにも成功していたのです。ですが、神獣カーズの場合、他種族の神獣のそれとはまったく異なる交渉手順を要求されました。とくにそのうちのひとつは、解決がきわめて困難なものでした。つまり……」
そこで、滅多に顔色を変えない夷綱にしては珍しく、苦渋の表情をあらわにする。
「つまり……生贄が必要だったのです。私自身が生贄になることも可能ですが、それではせっかく神獣カーズとの契約に成功しても、肝腎の術者がいなくなってしまいます。私たちは深刻なジレンマに直面し、召喚術の入手そのものをあきらめかけていました。ですが、マスターと葛葉は障害をうまく回避する別のアイディアを思いつきました。要するに、私以外の者から生贄を用意すればいいのです。ゲームの規定で危害を加えられないNPCを除外すれば、生贄の対象となりうるのはただ一人……そう、あなたのみ」
お人好しのヒメはまだキョトンとしていたが、俺にはだんだん事情が呑み込めてきた。
彼女とホストのひろみに代わって、俺が夷綱に問いただす。
「おまえ、まさか召喚神獣を手に入れるために、ヒメを犠牲にするつもりだったんじゃないだろうな!?」
「そ、そんな!?」
それを聞いて、ひろみの顔が真っ青になる。
「ご安心を。守護神獣が庇護種族の者の命まで奪うことは、もちろんありません。その代わり、ヒメさんは一時的に意識を失い、魔法と種族スキルも使用できなくなります。つまり、アレキサンドライトのゲートキーの有無に関わらず、貴チームにはここで完全にリタイヤしていただくことになります」
「ええ~~っ!?」
そのとき、一同の耳に新たな船の滑空音とエンジン音が聞こえてきた。
連なる砂山の向こうから姿を表したのは、目の覚めるような真紅に彩られた船。この惑星アヌビスの重力圏で一度はストリーカーを追い詰めながら、サジタリウスと鉢合わせしていったん退却したはずのアンドロメダだった。
葛葉と晴彰がエアロックに姿を現した。タラップを下りて、砂漠の大地に一歩を記す。
「よくやったぞ、夷綱」
「マスター」
単独で隠密行動に出ていたクライアントの労を晴彰がねぎらうと、夷綱は畏まって一礼した。
「阿倍野!」
「晴彰ちゃん!」
彼は苦虫を噛みつぶしたような顔をしてひろみをにらんだ。
「その呼び方はやめろと言ったはずだ」
「え~~、だって、小夜ちゃんが『みんな、ファーストネームで呼び合いましょう』って言ったじゃなぁい。トウヤちゃんも、『阿倍野!』なんて他人行儀じゃん。『晴彰ちゃん』にしようよぉ。小夜ちゃんにだって怒られちゃうしさぁ」
「いや、俺は『気持ち悪いから嫌だ』って本人が言うもんだから……」
晴彰は俺とひろみの会話を無視し、忠実なクライアントに向かってきびきびと命令した。
「夷綱、おまえは守護神獣とのコンタクトを始めろ。残るは最終ステップのみだ。神獣フヒュ=カーズは、生贄さえ用意できれば出張契約に応じてくれるはず」
そして、俺のほうを振り返り、不敵な笑みを浮かべる。
「このゲーム、そろそろお開きにしようじゃないか。おまえたちにも引導を渡してやるよ」
「させるもんか! この間さんざん邪魔してくれたお返しだ!」
ジュディが剣を抜いて、ヒメの前に立ちはだかる。
「おい、男女! おいらたちも協力するぞ! ヒメをあいつらなんかに渡すもんか!」
「そうッス。許せないッス!」
タロとジロも同じく武器をかまえて進み出た。
「あらあら。せっかく宝玉を貸してあげたのに。恩知らずだとは思いませんこと?」
夷綱が召喚の儀式に没入すれば、一人で【カンパニー】と【トリアーデ】を相手にすることになるのに、葛葉はなぜか余裕しゃくしゃくの表情だ。
「てめえ! ヒメをだまして、自分たちの都合でおいらたちを利用しただけだろうが!」
「そうそう、【ミョージン】に恩なんてないっス。あっしら恩知らずじゃないッス」
ペッとつばを吐くタロに、葛葉はすごみのある笑みを浮かべ、隠し兵器を披露した。
「仕方がありませんわね。いやでも協力してもらいますわよ。ブラッドストーン!」
最も強力な宝玉のひとつであるブラッドストーンは、おそらく【ミョージン】の手もとにあるだろうとミオも以前から推測していたが、やはりそうだったか……。
いま、その宝玉の真価を葛葉は惜しげもなく解放した。血のように濃い赤色の霧が立ちこめ、タロとジロに襲いかかる。
「う、うああああっ!!」
二人は叫び声をあげたかと思いきや、いきなりバタンとその場に倒れた。
「ちょ、ちょっとぉ、二人ともどうしちゃったのぉ!?」
ひろみがオロオロしながらタロとジロに声をかける。
不意に、反応のなかった二人がむっくりと起き上がった。生気のない目は充血したように真っ赤な色に染まっている。
「さあ、生贄を連れてここへ」
「ひ、ひやあああん! 下ろしてですの!」
葛葉が命じるままに、タロとジロはヒメを担ぎあげて【ミョージン】のもとに連れて行った。
いつのまにか【トリアーデ】のもとを離れ、晴彰の隣にいた夷綱が、葛葉とともに解説を加える。
「申し訳ありませんが、お二人が寝ている間にナノマシンを注入させていただいたのです」
「ブラッドストーンは本来、相手の体力を吸収して自軍を回復させる最高位魔法。ここに、私たちキツネ族の特殊スキル・サイコバインドと、血液中のナノマシンによる生化学的催眠操作をブレンドさせたのです。これぞ、魔法とスキルとテクノロジーの究極のコラボレーションですわ」
夷綱はヒメを連れてアンドロメダの船体の向こう側へ消えた。これから召喚の儀式の最後の部分を実行するつもりだろう。
「く、くっそぉ!」
ジュディが歯ぎしりしてうなる。
このままイタチ族の召喚神獣が【ミョージン】の手に落ちれば、せっかく俺たちが先行してアヌビスとの契約を取り付けた意味もなくなってしまう。ここはなんとしても阻止しなくてはならない。
だが、操られたタロとジロ、そして葛葉がジュディを阻む。さっきとはすっかり形勢が逆転してしまった。まさかこんな展開になろうとは……。
「仕方ない。おまえらまとめて相手してやる!」
「ね、ねぇ~、二人を傷つけないでよねぇ?」
心配そうな顔で頼みこむひろみだったが、ジュディの返事はつれない。
「大丈夫だよ。別にいつもと変わんないじゃん。あいつら、打たれ慣れてるし」
「があぁーん」
葛葉はいつもどおり後衛で魔法攻撃に専念し、タロとジロに前衛を任せた。
「おらおらぁ、ネコ右ストレート! ネコ左アッパー!」
「おかわり一文字閃ッス!」
タロがネコ族の爪スキルで、ジロがイヌ族の剣スキルでジュディを攻撃する。
体力もスキルの練度もジュディのほうが上とはいえ、同時に二人を相手にするのは楽じゃない。リーチが短いから攻撃が届くことはほとんどないのだが、逆に次の攻撃までの切れ目が短いため、ガードを下ろす暇がないのだ。
そのうえ、魔力のストックは【ミョージン】のものなので、二人とも余力がたっぷりある。こちらはレナードや神獣アヌビスとの激戦の疲れも残っているうえに、たったいま当の【トリアーデ】と戦ったばかりで、魔力のストックも残り少ない。やっぱり最弱チーム相手に召喚術を試したのは失敗だった。
「ヒートレベルⅢ!」
逆巻く炎がジュディを襲う。タロとジロも巻き添えだ。葛葉のやつ、二人を完全に捨て駒にするつもりらしい。
「ああん、ひどいよぉ! なんであたしたちばっかりこんな目に遭うのぉ!?」
ひろみが自分たちの不運を嘆く。同情はするけどな。
「くっそぉ!」
威力の高い葛葉の魔法を浴びて、ジュディはあえぎながら立ち上がった。だが、再びタロとジロに阻まれ、葛葉を狙って魔法の詠唱を妨害することもできない。
「我、はるけき梢、真白き雪原、せせらぐ川辺、深きケルプの森、いずくにても探求する心忘るることなき者にして、妙なる踊りもて観る者の心忘れさする舞踏者の眷属なり──」
夷綱の厳かな詠唱が聞こえてくる。天空では妖しい雲がグルグルと漏斗状の渦を巻き始めた。
晴彰がさっき解説したように、イタチ族の守護神獣は生贄を求めるような難題を要求する代わり、アクセスポイントのある惑星とは別の場所へもわざわざ出向いて契約に応じてくれるらしい。
もうまもなく詠唱が終わる。このままでは、強豪チームの【ミョージン】が新たに召喚術という強力な札を手にしてしまう。それは、俺たち【カンパニー】にとって、ゲートへの道のりがますます遠ざかることを意味した。
「よぉし、こうなったら!」
ジュディがもう一度神獣アヌビスを召喚しようとしたため、俺は待ったをかけた。
「おい、ジュディ。連続召喚は威力が落ちるし、一日ニ回が限度だ。これで撃ち止めになっちまうぞ!?」
「だって、【ミョージン】のやつらに召喚術を入手されたら、それこそマズイだろ!? いま使うしかないよ!」
そのときだった。
「きゃあああっ!!」
だれかのつんざくような悲鳴が響き渡る。
ジュディだけでなく、葛葉も振り返った。いまのがヒメの声だったら、彼女まで手を止めることはなかったろう。
「ど、どうした!?」
アンドロメダの裏側に儀式の様子を確認しに行った晴彰が、いつもの彼らしくもないうろたえた声で叫ぶ。やっぱりいまのは夷綱の声だったんだ。もしかして、何かミスがあって神獣との契約に失敗したのだろうか?
「私がクリスタルを使ったのだ」
声に振り向くと、砂丘の頂に二人の人影が立っていた。
「レナード! おねえちゃん!」
ジュディが喜びをあらわにする。
レナードも彼女にうなずき返すと、葛葉たちに対して種を明かしてみせた。
「クリスタルの最高位魔法は、一度のみありとあらゆる力を跳ね返す。それをヒメに対してかけたのだ。つまり、フヒュ=カーズの生贄として選ばれたのは──」
「ま、まさか!?」
葛葉が真っ青になって驚愕の声をあげる。
そう、生贄に選ばれたのは夷綱のほうだった。
彼女はいまや完全に気を失い、晴彰が抱きかかえていくら呼びかけても、何の反応も示さなかった。
彼は結莉にきっと目を向けた。
「くっ……おのれぇ、成瀬! おまえも霧志麻の味方をするつもりか!?」
「とりあえずいまはね」
「おぬしたち【ミョージン】のやり方は、私と主の流儀とは相容れぬ」
覆った状況を見て、もう一人喜んでいるやつがいた。ひろみだ。
「ええっとぉ、それって、もしかしてぇ、イタチ族の召喚術はヒメっちが使えるってこと? やったぁ、超ラッキィー♪」
「おあいにくさまね。宝玉を貸与する契約が履行された以上、召喚権の保持者はあくまで【ミョージン】よ」
葛葉が冷たく否定する。俺は皮肉混じりに彼女に指摘した。
「庇護種族の夷綱なしで、一体どうやってその召喚権を行使するつもりなんだ?」
「私の力を侮らないでいただきましょうか」
そのとき葛葉が見せた表情に、俺は一瞬背筋が冷たくなった。
「稟楼虚紋霊岱聞旭煉逓舞曲覇軍──」
葛葉が耳慣れない呪文を詠唱すると、彼女の体がまさしく金色に輝きだした。豊かな金毛の尾が一つ、二つと分かれていく。尾の数が九本になったとき、葛葉の全身が炎に包まれた。
目を見張る俺たちの前で、火は次第に収まっていった。
そして……中から姿を表したのは、なんと夷綱だった。
「葛葉……時間はかけられん。手早く片付けろ」
晴彰が厳しい顔で命じる。
「心得ております。フヒュ=カーズ!」
キツネ族の変化を守護神獣といえども見破れないのか。葛葉のスキルと魔力がそれだけ並外れた一級品ということなのか。葛葉の召喚した神獣フヒュ=カーズ──真っ白な毛に覆われたしなやかな長身のイタチの神が、螺旋を描くように舞い降りてきて、即席の儀式台の上にとどまった。敵である【カンパニー】と【ロンリーウルフ】のメンバーをじっと見下ろす。
「あ、ああ……これが私たちの神様ですの!?」
ヒメは畏怖に打たれて守護神獣カーズの威容を呆然と見上げた。
「う~ん、晴彰ちゃんは憎たらしいけど、うちの子たちを人質に取られてるしぃ、一体あたしどっちの味方をしたらいいのよぉ~!?」
ひろみは右往左往するばかりだ。
レナードが苦悶の表情を浮かべて、ジュディに声をかける。
「ジュディ! 【ロンリーウルフ】の宝玉の魔力は先ほどのクリスタルの分でほとんど残っていない。後はおぬしだけが頼りだ!」
「わかってら! アヌビス召喚!!」
ジュディがもう一度アヌビス神を呼び出した。白狼が天の一角から俺たちのもとに降りてきて、白イタチと対峙する。
超エネルギー体である召喚神獣同士のぶつかり合いになれば、その威力は当然術者のステータスに依存する。ジュディはもともと魔力のステータスが低いうえに、これで今日二回目の召喚だ。対する葛葉は、七チームの全クライアントの中でも、【バードケージ】のヨナと並んでトップクラスの魔力を誇る。
カーズはアヌビスの牙をかいくぐり、高速でイヌ族の守護神獣の周りを駆けめぐった。その姿は、イタチというよりまるで竜だ。ついには、二頭の守護神獣の姿は逆巻く渦に呑まれて俺たちの目に映らなくなった。それはさながら、超自然の力と力の壮絶なぶつかり合いだった。
だれもが固唾を呑んで見守る中、ついに決着がついた。
閃光がひらめき、巨大な爆音があたりに轟く。
消滅したのはジュディのアヌビスだった。
「うわあああっ!!」
「ジュディ!」
召喚者のジュディにダメージがもろに返ってくる。彼女はすごい勢いで跳ね飛ばされ、砂の山にたたきつけられた。
「やはり無理があったか……」
レナードが唇を噛む。結莉も両手を胸に当てて、心配そうにジュディを見守る。
彼女はなんとか砂の間から這い出し、両足を踏ん張って立ち上がろうとした。が、足もとがフラリとぐらついたかと思うと、再び膝を折ってしまう。
「……く、くっそぉ……」
ぜいぜいと荒い息をつき、いかにも苦しそうだ。無理もない。今日一日で、肉体も精神も一体どれだけ酷使させたことか。
夷綱の姿を借りた葛葉は、もうジュディには目もくれず、変身を解いて元に戻った。片目を吊り上げ、【カンパニー】のホストである俺に尋ねる。
「どうなさいますか? クライアントが大事なら、ここで降りられるのが賢明かと思いますが」
俺は拳を握りしめながら、目を閉じてうなだれた。悔しいけど、もう勝負はついたことを認めざるをえない。これ以上ジュディに鞭を打つまねはできない。
白旗を振りかけたそのとき──
《待ちニャさい!》
超時空通信の端末から聞こえてきたのは、懐かしいミオの声だった。