ゲームに参加した俺たち六チーム、ホストとクライアント合わせ総勢十八人のメンバーは、ここ惑星アヌビスにそそり立つ大遺跡の入口で、お互いにゲートキーをめぐって凌ぎを削ってきたことも忘れ、焚き火を囲んでいた。
火は葛葉が宝玉ルビーの魔力を使って起こしたものだ。熾きがなくても、風が吹いても、消えることもなく、火はチロチロと静かに燃えつづけている。
しばらくの間、だれも口をきこうとしない。最強チームだった【ジョーカー】カインの死は、俺たち一人一人の心に重いものを残した。
「あの……」
遠慮がちに口を開いたのは、最後にアヌビスにやってきたチーム【イソップ】のホスト杏子だった。
「私がみんなのところへやってきたのは、カインさんのこともあるけど、みんなにぜひ話しておきたいこと、知っておいてほしいことがあったからなんです」
闇の中でゆらゆらと揺れる焚き火をぼんやりとながめていた全員が、ゆっくりと面を上げ、視線を杏子に向ける。
「えっと……あ、そうだ! みんなに荻原先生のこと、まだ言ってませんでしたよね?」
「フフ……変わってないわよね、杏子ちゃんったら。すぐ話が飛ぶんだもの」
小夜が目を細めて微笑む。杏子は頬を赤らめて頭を掻いた。これも小学校のころからの彼女の癖の一つだ。
「ス、スミマセン」
「いいのよ、謝んなくて。杏子ちゃんのそういうとこ、私はチャーミングだと思うわ。昔もそう言わなかったっけ?」
杏子は、小さいころから教科書や本をなかなか読むことができない、いわゆる読字障害だった。それが原因で、先生によくけげんな顔をされたり、友達に煙たがられていたのを、俺も覚えている。そんな中で小夜は、あけすけに杏子をからかう一方で、「ダ・ヴィンチとかエジソンとか歴史上の偉人も同じだったんだから、あんたもそのうちなんかすごい才能が芽生えるよ、きっと」と励ましていたものだ。
「アハハ。そうでしたね。えっと、でも、このことも一応関係あるんです。私、小学校を卒業したあと、父の転勤で引っ越しちゃって、中学はみんなと違ったじゃないですか」
「そうそう。あたしも杏子ちゃんと同じく引っ越し組だしぃ、結莉ちゃんはカナダへ行っちゃったしぃ、晴彰ちゃんは私学に合格して寮に入っちゃうしぃ。思い起こせば、みんな結構離れ離れになっちゃったんだよねぇ……」
ひろみが両手の上に顎を乗せて感慨深げに語る。一同もそれぞれにうなずいた。
「で、せっかく仲良くなれたみんなとも別の環境に移って、だのに新しい友達もできなくて、私、ずいぶん悩んだんです。学校もだんだん休みがちになっちゃって。で、日曜日に荻原先生に相談に行ったんです」
「水臭いじゃん。私たちに相談してくれりゃよかったのに。どこの学校だって乗り込んであげたわよ」
口をとがらせる小夜に、杏子は苦笑しながら答えた。
「みんなだって自分のことでいろいろ大変だろうし、やっぱり迷惑はかけられないもの」
「日曜っていうと、学校じゃなくて先生の自宅にまで行ったの?」
俺が尋ねると、杏子はこっくりとうなずいた。
「はい。年賀状出し合って住所とかも知ってたから、思い切って。先生は私を家に上げてくれて、お菓子とかジュースとかご馳走になって。いろいろおしゃべりしたり。楽しかったです。結局、肝腎のことは何も打ち明けられなかったんだけど……」
エヘヘと頭を掻く。みんなはだまって彼女に先を促した。
「そのときに、先生がおもしろい話をしてくれたんです。それがカインさんのことでした」
「カインは先生の家の飼いネコだったの? 小学校のとき、そんなこと教えてくれたかしら?」
結莉が首をかしげる。杏子は首を振った。
「ううん。先生の家、アパートの一階だったんだけど、家の前が駐車場になっていて、そこで先生、ネコたちにご飯をあげてたんですよ。ほら、先生って地域ネコの活動もやってたから。で、ある日すっごく大きな、それでいてきれいな縞模様の入った、まるでヤマネコみたいな感じのワイルドな子を見かけたんですって。姿を見たのはたった一回だけ。他の子がみんな集まるご飯のときや、集会には決して顔を出さないの。先生がその場にいるときも。ご飯だけ置いて、しばらくしてまた様子を見に行くと、器が空になってるっていう具合。いつかきっと手なずけてやろうって、先生も意気込んで挑戦してみたんだけど、何ヵ月たっても全然ダメだったんですって」
「それがカインだったんだぁ。よっぽどシャイな子だったんだねぇ」
ひろみがクスリと微笑む。
「カインって、猫種は何だったの?」
「俺はベンガルだと思ってたけど」
結莉の質問に俺が答えると、ミオが一言ボソッと告げた。
「アシェラよ」
ミオの解答を聞いて、俺はびっくりした。
「ええっ!? そうだったの!? あいつ、道理で強かったわけだ……」
「アシェラ? そんな怪物みたいな品種、聞いたことないわね」
小夜が眉をひそめて質問すると、今度は晴彰がウンチクを披露した。
「確かに怪物かもな。米国の新興バイオテク企業が数年前に発表した新しい品種、いわゆるハイブリッド・ペットってやつさ。どうやって作ったのかは企業秘密。もっとも、サーバルキャットとベンガルをかけ合わせただけみたいだけど。日本じゃまだ二百万円出してもなかなか手に入らないんじゃないかな」
アシェラに関する知識をある程度聞きかじっていた俺以外のホストは、みんな目を丸くした。
「ひゃあぁっ、高級車一台分ですぅ!」
「そんなスーパーキャットが、なんだってまた野良ネコ暮らしをしてたわけ? おっかしいじゃん」
小夜の問いに結莉もうなずく。晴彰が解説を続けた。
「中身はほとんどヤマネコのまんまさ。夷綱や葛葉のほうがよっぽどかわいげがある」
彼が目配せすると、【ミョージン】の二人は少し恥ずかしそうにモジモジした。
「大体そんなのを買うやつらは、動物についてろくすっぽわかっちゃいない連中と相場が決まってるのさ。ただステータスとして見せびらかしたいってだけの動機で、大枚はたいて手に入れたがる。ひろみの言ったとおり、ポルシェやベンツと一緒なんだよ。ただ、車や株券と違って、手垢がついた時点で資産価値はゼロだからな。業者がいくら〝返品〟OKといったって、金もろくすっぽ戻らない。飽きて扱いきれなくなったら、ポイ、だろ。雌だったらベンガルとつがわせて子供を売れるだろうけど、ブリーダーでもないずぶの素人じゃ無理だしな。そもそも雄には繁殖能力がないし。しょせん、金持ちのリクエストに応えて、見せかけだけこしらえたいびつな雑種さ」
晴彰は顔をしかめると辛らつに言い放った。
「つまり、カインは玉なし──」
そう言いかけて口をつぐむ。女の子一同が顔を赤らめた。ミオが俺の額にチョップを食らわせる。
「レナードもハイブリッドという点では同じね。大型犬を扱い慣れてて、よっぽど十分な環境を用意してあげられる人でなきゃ、この子たちの面倒を見るのは無理。だけど、ウルフドッグっていうかっこいいイメージだけに惹かれて、飼い始めたはいいけど手に負えなくなって、結局手放してしまう人が多いの。ビクトリアのNPOの保護施設も、まさにそういう子たち引き取っているところだったのよ」
レナードが神妙な顔つきでホストの話の後を継いだ。
「私はこうして主に出会えたおかげで救われたがね。元主……いや、ブリーダーから私を買い取っただけの元所有者のことなど、思い出したくもない」
渋面を作った彼の顔を見て、俺ははっと思い当たった。
「レナード、おかしいと思ってたんだけど、まさかおまえのその傷……」
だまって目を伏せた結莉の隣りで、彼が一生治ることのない傷痕の真相を打ち明ける。
「その男に付けられたのだ。私の他にもウルフドッグを何頭も買っていた。ただ強い者を従わせたいというだけの、異常な支配欲にとり憑かれた哀れなニンゲンだった。私は復讐する気も起こらなかったが、仲間の一頭に仕返しを受けて大ケガを負い、事態が発覚したというわけさ。私たちは施設に収容されたが、その男は州警察に逮捕されて監獄送りになった」
そうだったのか……。少しでも彼のことを疑って悪いことしちゃったな。それにしても、極度の人間不信に陥っていたはずのレナードの心を融かした結莉は、やっぱりニンゲンの鑑だと思う。
「ジュディは元主と現主のどちらにも恵まれて幸せだな」
「エヘヘ」
いつのまにか結莉と反対側の隣にちょこんと座っていたジュディが、はにかむように笑みを浮かべる。なんとなくいい雰囲気だな、この二人。
「ニンゲンとは、そういう種族なのだよ……」
ヨキの言葉に非難の色は含まれていなかったが、小夜は悲しそうにうなずいた。
「だけどよ。おいらたちのリーダーだってニンゲンだけど、絶対そんなことしないぜ!」
「そうッス! ニンゲンったっていろいろいるッス」
タロとジロがそう言って身を乗りだす。
「うむ。わが主も、そなたたちの主も、そして主たちの尊師も、確かに同じニンゲンには違いない。だからこそ、いま我々がここにいるわけだ」
レナードが締めくくると、全員がいっせいに力強くうなずいた。
会話が途切れてしばらくして、俺はポツリとつぶやいた。
「ESB、か……」
俺たちがゲームのプレイヤーとして選ばれた理由。シュレッドと遭遇したのも、いまはもう遠い昔のことのように思われる。あのとき、シュレッドは確か、俺たちに〝パスポート〟を授け、記憶を封印したと言っていた。
「なあ。おまえらの中でだれか、向こうの世界であの運用管理者に会ったこと、思い出したやついるか?」
晴彰がみんなの顔を見回しながら問いかける。だが、ホストは全員、俺も含めて首を横に振った。
小夜が膝を抱えてため息をつく。
「やっぱり、だれかがこのゲームをクリアして、ゲートの向こうにいるっていうゲームマスターに会わない限り、謎は解けないのよね……」
突然、杏子が立ち上がった。
「そ、そうです! また話が飛んじゃいましたけど……私、みんなに伝えたいことが……。私がゲートの向こうでどんな願いをかなえたいと思っていたのか、聞いてもらいたいんです!」
「おい、それは言ったらダメだって言われたろ。事象が確定しなくなるって。せっかくの権利をふいにするつもりか?」
晴彰がきつい口調で杏子をたしなめようとする。杏子は、自分を笑い飛ばすようにぺロリと舌を出した。
「どうせ私はみんなに勝てそうもありませんし。アハハ。せっかく一所懸命がんばってくれてるチコリとエシャロットには、本当に申し訳ないと思ってますけど……」
「杏子はん……」
【イソップ】のクライアント二人が、ひたすら同情の目でホストを見つめる。
「話の続きですけど、中学生の間は荻原先生にも支えてもらって、私、なんとかやっていけました。けど、中三の後半からは受験勉強もあったし、なかなか会いに行けなくて。で、高校受験が終わって、何とか合格したこととかいろいろ報告したいと思ったんだけど、そのときにはもう、先生と連絡がつかなくなっちゃったんです。アパートに行ってみたけど、やっぱりいませんでした。ネコのご飯の器も何日も空になったままの感じで。私、心配になって、小学校まで確かめに行ったんです。そしたら、職員室にいた他の先生に、荻原先生は病気で退職して、いまは病院に入院してるって聞いて、びっくりしたんです。じゃあ、お見舞いに行くって言ったら、どこの病院に入院しているかは聞いてないし、どのみち個人情報だから明かせないって言われて。私も仕方なくあきらめたんですけど……」
「まさかALSだったなんて、だれも思わないわ……」
「ショックよね……」
小夜が両手を組んで顎を乗せる。結莉も目を伏せ、悲しそうな表情をする。
少し間を置いて、杏子は話の続きを再開した。
「これ……」
杏子がみんなの前に差し出したのは、自分の左手の手首だった。動脈のすぐ上に幾本もの白い筋がくっきりと残っている。リスカの跡。
「私の高校生活はみじめでした……。勉強にはすぐついていけなくなった。それに、中学のときよりもっとひどいいじめにも遭って。私、プロフなんてやってないのに、ひどいこと書かれたり……。両親もわかってくれなかった。唯一の理解者だった先生は音信不通。友達は──」
そこでチコリとエシャロットに視線を移す。
「この二人だけ。じきに学校にも行かなくなって……。私、病院に入院させられちゃったんです。何よりつらかったのは、この子たちに会えなかったこと。心配で心配でたまらなくて。ガランとした何もない病室の天井を見ながら、一日中ずっと泣き続けた。バカなことしたのは自分だってわかってたけど……」
ひろみが杏子の隣に来て、ギュッと彼女を抱きしめ、静かに泣いた。晴彰が突然立ち上がり、背中を向けて星空を仰いだ。
「私の願いは……ゲートの向こうでゲームマスターに頼もうと心に決めていたのは、自分の人生をもう一度やり直すこと」
晴彰は耳をふさいで聞くまいとした。エシャロットはついにしゃくりあげ、チコリも膝頭の間に顔をうずめる。ヒメもジロももらい泣きしている。結莉も。
「うちらがもっと強かったらよかったんや。堪忍なあ、杏子はん……」
杏子は自分のために涙を流してくれる大切なクライアントと友人たちに、涙を拭いて精一杯の笑顔を見せた。
「でも、私、ここにやってきたことをちっとも後悔なんかしていません。楽しかったし。それに、私の願いって、なんだかんだ言っても他力本願で図々しいですよね。エヘヘ。自分の力でなんとかすべきでした。みんなはたぶん、私なんかよりもっとずっと深刻な問題を抱えていたはず。できることなら、みんなの願いを全部かなえてほしい。ゲームマスターって、ほんとケチですよね。ゲートを開く資格が与えられるのは一人だけなんて。みんな大切な友達なのに、たった一つの椅子をめぐってお互い争い合うなんて。どうにかならないんでしょうか?」
最後の台詞に向かうにつれて、本人も知らず知らずのうちに熱がこもる。
「一つの椅子に、全員で座るのは無理よ……」
小夜がうつむいて、だれの顔も見ずにつぶやく。自分自身に言い聞かせるように。
「けど、疑問もあるんです。私たちがクライアントのPIAを通じて知らされたこのゲームのルールブックですけど、何から何までは書いてないじゃないですか。カインさんやミオさんは、後から付け加えられた召喚術や、まだ書かれてもいない宝玉解放について、自力で発見したんだし。だったら、クリア条件が変更されたっていいじゃないですか」
「シュレッドやゲームマスターが嘘をついてるっていうのかい?」
俺が疑問をぶつけると、杏子は自信なさげに彼女自身の回答を示そうとした。
「いえ、そうじゃないんです。うまく言えないんだけど……ルールはすべてじゃなくて、ヒントなんじゃないか。ゲームマスターは、私たちに、本当の答えをほのめかしているんじゃないかって……」
「ふうん……。杏子ちゃんのひらめきって、ときどきズバリ核心を突いてるからなあ……」
小夜が腕組みして考えこむ。
今度は結莉がすっくと立ち上がった。
「私も杏子ちゃんに右へならえするわ。杏子ちゃん。私の境遇なんて、杏子ちゃんより全然マシなのよ。本当に私の身勝手さが原因で、同情の余地なんてまったくないんだから。みんなの中できっと最悪だわ。もっとも、願いそのもののほうは、いちばん難易度が高いかもしれないけど……」
結莉はそれから、じっと俺のことを見つめた。
「私の願いは……もう一度時計の針を巻き戻すこと。そして、あの日に戻って、もう一度トウヤに会って、ずっとジュディの面倒をみてくれて本当にありがとう、この子のことこれからもお願いねって言うの。そして……明日は……明日は、絶対に駅に行くな、一日中家にいろって……縛り付けてでも、絶対に……行かせ……ない……」
最後のほうはかすれて声にならなかった。涙がとめどなくあふれ、彼女の頬を伝っていく。雫がポタポタと落ち、砂の中に吸いこまれていく。
「結莉……」
俺は彼女の名を口ずさむことしかできなかった。この世界にやってきた最初のころは、結莉のことだから、きっとまだ俺のことを怒りたりないんじゃないか、なんてずいぶん軽く考えてたっけ。彼女がこんなにも俺のことを気遣ってくれていたことが、いまは素直にうれしかった。
レナードがやさしく主人の肩に手を置く。結莉は彼の腕をぎゅっとつかんだ。彼に支えられるようにしながら、結莉は涙を振り払って話し続けた。
「シュレッドに会ったときは、どんな犠牲を払ってでもゲートを開く権利を必ず勝ち取ってみせるつもりだった。けど……このもう一つの世界にやってきて、ちょっと迷っちゃったの。だって、ほかでもないあなたがここにいたんですもの。そして、レナードがいて。ジュディがいて。私、あなたと戦うべきなのかどうか悩んだわ。あなたが、自分が生き返って人生を取り戻すことを願うのであれば、二つ返事でゲートキーを全部あげるつもりだったけど、それもはっきりと確かめられないし。それに……ここにいるみんなと、この世界でずっとこうしていたいっていう気持ちも正直あった。甘えなのかもしれないけど。フフ……」
「それで、カインに宝玉を奪われるまで、【ロンリーウルフ】は護り一辺倒だったのか……。レナードは彼女の方針に異論を唱えなかったのか? おまえにとっちゃ一文の得にもならないだろうに」
「私はあくまで主の命に従うまでだ。地獄だろうとどこだろうと、主が飛びこめとおっしゃるなら喜んでそうしよう。主の望みは私の望みだよ」
俺の質問に、とりすました声で答える。
「律儀なやつだなあ」
「エヘヘ。そりゃあもちろん、ボクの弟だもん!」
ジュディはレナードをちらっと見上げると、鼻をこすりながら誇らしげに言った。
「もっとも、おぬしが果たして主に見合うだけの男かどうか、この目で確かめるつもりではいた。いまのところは合格のようだな。といって、この先研鑚を怠るようなら、容赦するつもりはないが」
レナードは俺に向かってしかつめらしく忠言した。結莉も「フフ」と笑みを漏らす。やれやれ、とんだお目付け役だな。
「トウヤ。あなたの願いが何かは聞かないけど、私はそれを受け止める。私にはもうわかったから。あなたとミオちゃん、そしてジュディが、どれだけ本気でこのゲームに臨んだか、しっかりと見せてもらったから。【ロンリーウルフ】のゲートキーは全部、あなたたち【カンパニー】の物よ。私は、だれよりもあなたにゲートを開いてほしい」
そう言うと、結莉は最後の一つであるクリスタルのゲートキーを首から外し、俺の手に握らせた。
次に立ち上がったのはひろみだ。
「私も言うっ!!」
途端に彼女のクライアント三人も立ち上がり、声を張り上げる。
「ダメだ、リーダー! おいらは絶対いやだ!! 【トリアーデ】は最後の最後まで戦うぞ!!」
「そうッス! あっしらはリーダー以外の願いは認めねえッス!」
「そうですの! だって、リーダーは少──ムグ」
「バカ、言うんじゃねえっての!」
タロがヒメの口をあわてて押える。そんな三人をいとおしげに見つめながら、ひろみは首を横に振った。
「ありがとう、タロ、ジロ、ヒメ……。でもねぇ、正義のヒーローは、だれかを犠牲にして自分だけ助かろうなんてしちゃダメなのですぅ」
ひろみは自分の気持ちを落ち着けようと、一つ深呼吸してから告白した。
「あたしねぇ、向こうでいま、少年院にいるの。従兄をカッターで刺してケガを負わせたから……」
俺たちはみな、声を失った。ありえないだろ!? よりによって、ネコの子一匹傷つけられない藤岡ひろみが傷害事件を引き起こすなんて……。
大粒の涙をポロポロとこぼしながら、タロが訴える。
「リーダーは何も悪くねえんだ。何一つ悪いことなんかしてねえ! 全部貞行のやつが悪いんだ! こどものころからずっと、あいつは親たちに隠れてリーダーに暴力をふるい続けてきたんだ。リーダーは何もできずにじっと我慢してたんだ。ずっとずっと耐えてきたんだ。だけど、あいつが……あいつが……くっ……」
言葉を紡げなくなったタロの後を、ヒメが引き継ぐ。
「私が傷つけられそうになったところを、リーダーは死ぬ気で庇ってくれたんですの」
さっきのお返しとばかり、杏子が後ろからひろみを抱きかかえ、赤ん坊をあやすようにそっと髪をくしけずる。ひろみは友人に慰められるままに、うっとりと目を閉じていたが、やがて目を開くと涙を拭いた。杏子とクライアントの三人に向かってペコリとお辞儀する。
「ありがとう、杏子ちゃん。そして、いままで本当にありがとう、みんな。あたしはみんなのこと、大好きだよぉ」
そして、結莉と同じように、せっかくゲームマスターからオマケで入手したアレキサンドライトのゲートキーを、俺に向かって差し出す。
「ハイ、トウヤちゃん、これ。あたしはあなたと違って、まだ取り返しがつくからさぁ」
「あ、そうだ。私、まだ渡してませんでしたね、スミマセン。これ、【イソップ】のゲートキー二つ分です」
そう言って、杏子も自分の所持していたサファイアとペリドットのゲートキーを首からはずし、俺に手渡す。
俺はなんと言葉を返していいのかわからなかった。自分の手の中にある四つのゲートキーを、ただじっと見つめる。これで俺たち【カンパニー】は八つのゲートキーをそろえたことになった。
「ねえ。ところでさ、カインの持ってた六つのゲートキー、どうなっちゃったのかしら?」
小夜が疑問を口にする。
カインの体が光の粒子となって消滅したとき、後には何も残されていなかった。彼が持っていたはずの六つのゲートキーは、他チームから奪った分も含め、彼の肉体と一緒にどこかへ消えてしまっていた。ゲームのルールの上では、勝者である俺たち六チームの取り分になったはずなのに。
「私、思ったんですけど……もしかしたら、カインさんのゲートキーは、彼の願いごとをかなえるのに使われたんじゃないかしら? ゲートを開けるのには足りないけど、でも、荻原先生の病気が少しでも回復するのに役に立ったんじゃないかって、そう思うんです。思いたいんです!」
杏子の意見に、結莉もキラキラと目を輝かせてうなずく。
「うん。私もそう思いたいわ。きっとそうよ!」
小夜が今日何度目かの深いため息をついて、両手を挙げるポーズをとった。
「あ~っ、もう降参! 私もトウヤ君にゲートキーあげる!」
「小夜、おまえまで!?」
晴彰が非難するのを聞いた小夜は、おもしろそうに口をすぼめた。
「あら、晴彰君。ついに私のこと、名前で呼んでくれたの? ちょっとうれしいかも」
「バ、バカやろ……」
晴彰はプイと顔をそむける。
「でもさ、私の場合、理由は聞かないどいてほしいんだ。たぶん、私がこっちに来たのって、順番でいったらいちばん最後じゃないかと思う。みんなのこと、風の便りにちょっぴりは耳に挟んでたんだ。とくにトウヤ君のこと考えると、さ……。ときどきこう、良心の呵責がチクチクッと、ね……」
苦笑いする小夜を、他の女子たちが口説こうとする。
「だぁめですぅ。人の話は聞いといて、自分は口チャックなんてズルはなしだよぉ」
「そうよ、小夜ちゃん。私たちも小夜ちゃんに何があったか、やっぱり知りたいよ」
「友達ですから」
「え~、だって、聞いたって、みんなきっとおもしろくないよ……」
口をとがらせて渋る小夜の代わりに、口を開いたのはヨナだった。
「わしからお話しますじゃ。小夜お嬢様はな、おそらくトウヤ殿の次に深刻な状況にありますじゃ」
「ちょっとヨナ! このおしゃべりヨウム!」
主人が遮ろうとするのにもかまわず、ヨナは話を続けた。
「わしたちの家は火事に遭いましてな。おそらく放火ですじゃろ。小夜お嬢様が塾からお帰りになったときには、家は炎に包まれかけていた。それでも、お嬢様は火の海に飛びこまれた。わしとヨキを助けるために……」
ヨナはポケットからハンカチを取り出すと、目に押し当てた。
「お嬢様は消防士に救出され、一命は取りとめられた。しかし、未だに意識不明で病院のベッドに横たわったままなのですじゃ」
「もう……」
小夜はバツが悪そうに頭を掻いた。みんなもしーんと静まり返ってしまう。
「ともかく! 私はまだ回復する見込みがあるかもしんないしさ。さ、トウヤ君!」
小夜は自分の首にかけていたゲートキーを四つとも全部はずすと、俺にむりやり押し付けた。
「ちぇっ……おまえら、そろいもそろって人が好すぎるぜ……」
晴彰は俺のところまで歩いてきて、自分のゲートキーを投げてよこした。
「ほらよ」
「あら? どういう風の吹き回し?」
小夜に聞かれると、彼はしかめっ面をして答えた。
「だれのせいだと思ってやがる。もう霧志麻はクリア条件を満たしたじゃないか。これ以上俺が持っててもしょうがない」
「アハハ、それもそうだよね。それじゃあ、晴彰君のことも話してよ」
「俺の話なんて、だれよりもつまらんさ」
晴彰が応じないと、小夜は一転して真剣な顔つきになった。
「嘘。あんたんとこの病院、なんで店じまいしちゃったの? 家に行ってももぬけの殻だったし。私は変な噂なんて信じないけど、本当に心配したんだから! ねえ、ちゃんと教えてよ!」
小夜に強くせがまれ、晴彰は仕方なく腰をおろすと、下を向きながら事の顛末を話しだした。
「強盗に入られたのさ。金だけならともかく、ローンがたくさん残ってたリースの医療機器を全部ぶっ壊されたし、そのうえ入院していた患畜まで皆殺しの目に遭った。そのころ俺が面倒をみていた夷綱は、俺の部屋にいたから運良く助かったんだよ。どういうわけか、保険の受取人は業者になっていた。残ったのは借金の山だけさ……。俺は犯人グループとつるんだ詐欺だったんじゃないかと疑ってるが、犯人は一向に捕まらないし、いまさらどうにもならない。父さん、母さんは信用も何もかもみんな失っちまった。野生動物専門の獣医になるっていう俺の夢も吹っ飛んだ……」
晴彰は顔を手のひらでゴシゴシとこすってから、茶化すように言った。
「ま、そういうわけだ。どうだ、おまえらに比べりゃ全然たいした話じゃないだろ?」
両側に葛葉と夷綱が座り、ただだまって自分の手を彼の手の上に重ねる。
「たいした話じゃんか!」
小夜はまるで怒ったような口ぶりで、彼の言葉を否定しようとした。
「晴彰君は、お父さんとお母さんを助けたかったのね……自分のことよりも……」
結莉にやさしい目でじっと見つめられ、晴彰はほっぺたをポリポリと掻きながら目を逸らした。俺に話を向ける。
「俺の昔話なんかどうでもいい。いまおまえの手の中にあるゲートキーには、それだけみんなの想いが詰まってるわけだ。おまえは必ず自分の願いをかなえろ。それがおまえの責任ってもんだぞ!」
俺は五人のホストの顔を順番に見渡した。
つづいて、ミオとジュディに目を向ける。二人も無言でじっと俺を見返してきた。
「ミオ……ジュディ……ごめん」
二人に向かって深々と頭を下げる。そして、【カンパニー】の分のゲートキー四つを、たったいまみんなから譲り受けた十二個の上に重ねると、立ち上がってみんなに向かって宣言した。
「明日、俺たち全員でゲートに行こう!! そして、全員の願いをかなえよう!! 本当は、カインのやつも一緒に連れていきたかったけどな」
晴彰が抗議する。
「ちょっと待てよ、霧志麻! いくらなんでもゲームマスターがそんなこと認めるわけないだろ!? そりゃ、全員の願いがかなうにこしたことはないさ。けど、それじゃあ、一体何のためにこれまで俺たちが戦ってきたのか、わかりゃしないじゃないか!」
俺は晴彰をはじめみんなを辛抱強く説得しようと試みた。
「なあ、みんな。さっき杏子が言った、ルールブックへの疑問やカインのゲートキーがなくなった理由についてだけどさ。俺はきっと、彼女の推理が正しいと思うんだ。シュレッドは悪いやつじゃなかった。ゲームマスターだってきっと。たぶん、俺たちが自分たちの力で本当の答えにたどり着くのを待ってるんじゃないか。そもそもこのゲームは、そのために用意されたんじゃないかって」
「私もだんだん、キョウコ/トウヤ仮説が正しい気がしてきたよ」
小夜も身を乗りだして賛意を表明する。
だが、晴彰は引き下がらず、頑なに異を唱えた。
「俺は反対だ!」
少し間を置いてから、彼は静かに付け加えた。
「なあ、トウヤ。俺は……俺はたとえ自分のチームが負けても、その代わりにだれかが願いをかなえてくれるんだったら、まだ許せる。けど……もし、だれの願いもかなえられなかったら、そんなのあんまりじゃないか。俺たちのいままでの苦労が、全部水の泡になっちまうのはいやなんだ……」
俺は彼の目をじっと見てから、クスリと笑みを漏らした。
「俺のこともやっと名前で呼んでくれたな。晴彰」
「あのなあ、俺はまじめな話をしてるんだぞ!?」
怒って詰め寄る晴彰に、俺はわかったわかったと両手をあげた。
「ごめんごめん。でも、俺だって大まじめだよ。それと……おまえって、いいやつだな」
「ったく、何なんだよもう」
晴彰は顔を真っ赤にして、どこかの動物園のマレーグマみたく頭を猛烈に掻きむしった。
「俺、思うんだ。晴彰も、小夜も、ひろみも、杏子も、結莉も、そして荻原先生も、みんなこんなにいいやつなのに、なんでこんなに辛い目に遭わなきゃならないんだろう? 世の中って理不尽じゃないか。こんなの間違ってるんじゃないかって」
「言っとくけど、その筆頭はトウヤ君だかんね! 見ず知らずの子供と仔ネコを助けるために、自分が電車に轢かれちゃうなんて、ほんとお人好しもいいとこだよ!」
みんな小夜の一言にうなずく。俺はあのときただ無我夢中だっただけで、そんなふうに言われると照れちゃうな。
「小夜がトウヤを怒ってどうすんだよ。まったく理不尽なやつだぜ。なあ、トウヤ」
「私は誉めてんのよ! そうやって人の揚げ足とんないの!」
おかしそうに指摘する晴彰を、小夜は肘で小突いた。クライアントのみんなまで笑いの渦に包まれる。いつも無愛想なレナードや夷綱まで。
みんなの笑い声がやっと収まったところで、結莉が話を引き取った。
「私もトウヤに同感だわ。私、神様っているのかどうかわからないけど、ゲームマスターやシュレッドは、もしかして神様にいちばん近い存在なんじゃないかしら? で、不運に見舞われた私たちに、あえてチャンスをくれたんじゃないのかしら? その神様が私たち六人を選んでくれた理由──それが……」
そこで彼女は、十二人のクライアントと五人のホストを順々に見回した。
「ESBなんじゃないかしら」
曖昧な言い方ではあったが、結莉の口調に自信が満ちあふれているのを、だれもが感じた。
「わかったよ……。俺もトウヤに任せる」
晴彰もとうとう折れてくれた。
俺は改めて、これまでずっと俺のために戦ってくれたパートナー、チーム【カンパニー】の二人に目を向けた。
「おまえたちは、俺の無茶な提案を許してくれるか?」
ミオとジュディはしばらくの間じっと俺を見つめ続けた。そして最後に、お互いの視線をチラッと交わしてうなずき合ってから、ミオが結論を告げた。
「あたいたち二人の意思はみんニャと同じよ。あんたに賭けるわ」