ゲートをくぐった俺たちを待っていたのは、一面に広がる緑の草原だった。その中に、一つの建物がポツンと立っている。
それを見た瞬間、俺たち六人の心に鮮明な記憶がよみがえった。
「あれは……!!」
「〝謎の館〟だ!!」
俺と晴彰が同時に叫び、女の子たち四人も興奮しながら相槌を打つ。
俺たちはその館の門のそばまで歩いていった。
大理石のようにツルツルした石でできた門の柱を、いとおしむようになでながら、結莉がつぶやく。
「懐かしいわね……」
「ああ……」
俺も彼女の隣に立って、同じように門に触れてみた。感触そのものは冷たい鉱物のそれだが、なぜか温かみを感じる。
そう……あれは四年前、俺たちが小学校六年生のとき。俺たち仲良しの飼育係メンバー六人と荻原先生とで、さまざまな秘密を共有していたあのころ。
もうじき小学校を卒業する俺たちにとってのクライマックスイベント。
町外れにあったこの建物は、雑木林と建設会社の資材置き場に挟まれるようにして、ひっそりと立っていた。先が行き止まりになっており、車一台通らない工事中の道沿いに。
外観からして妙だった。近代初期の西洋建築にも、イスラムやインドの寺院にも見えるが、そのどちらでもない。ガウディやシュヴァルも顔負けの奇抜なデザインだ。高い石造りの塀に阻まれ、中の様子はうかがい知れなかったが、表札は出ておらず、人が住んでいるふうにも見えない。
でも、だれかが……というより、何かがここに潜んでいる。ひっそりと息づいている。そのことを俺たちは確信していた。
以前から、こどもたちの間では〝謎の館〟とその住人について、さまざまな噂がささやかれていた。といって、ふだん人が通りかかる場所ではなく、夜には暴走族がたむろしているという話もあり、小学生の俺たちは滅多にそこに近づかなかった。大人たちもいい顔をしないし。
最初にそのことに気づいたのは結莉だった。ある日の夕方遅く、彼女はジュディと散歩に出かけた。彼女は自分とジュディの気分に応じて、ときどき遠出することがあったのだ。
その日、〝謎の館〟の手前まで行って引き返すつもりでいた結莉は、門の向こうで不思議な光を目撃した。それだけなら、よくある怪談話で終わってしまうところだ。だが、彼女は怪しい光と同時に、イヌとネコの鳴声が〝館〟の中から聞こえてくるのを確かに耳にしたのだ。
翌日、結莉は俺たち五人の飼育委員仲間にそのことを打ち明けた。
「何だったのかしら、あの声……。私、気になって夜もなかなか眠れなくって……」
「マッドサイエンティストが秘密の研究とかしてたりしてね。それとも、ひょっとしたら、いわゆるキャトル・ミューティレーションってやつかも!?」
小夜がみなのほうに顔を寄せ、ヒソヒソ声でささやく。
「けっ、バカバカしい」
晴彰は端から相手にしない。小夜自身も冗談のつもりだったに違いない。だが、ひろみなどは息も詰めて真剣に聞き入っていた。
彼女が椅子をガタンと後ろに倒して勢いよく立ち上がる。
「ねえ、助けに行こうよぉっ! 誘拐された子だったら他人事じゃないしさぁ」
「俺らが行ったところでどうにもならないだろ。警察か保健所に連絡すれば?」
「でも、たぶんまじめにとりあってくれないんじゃないかしら」
喧々諤々の議論の末、結局俺たちは、結莉の証言が本当かどうか、みんなして確かめに行くことにした。荻原先生を誘おうという話も出たが、とりあえず俺たちだけで調査に乗り出し、後で報告するということで落ち着いた──
ええっと、その後どうなったんだっけ? 懐中電灯やらロープやら武器まで用意し、日もとっぷりと暮れたころ、この門の前に勢ぞろいしたところまでは覚えているんだが……。
「とりあえず、入ってみましょ」
あのときと同じく、小夜の一声でみんなが動きだす。
以前は門に鍵がかかったままびくともしなかったが、今回は難なく開いた。昔は俺と晴彰が隣の資材置き場に侵入して、足台になりそうな物を物色している間に、女子が塀の周りをぐるりと一周して侵入に適したルートを探し、結局乗り越えて中に入るまで二十分以上かかった気がする。早くしないとおまわりさんかだれか来るんじゃないか、なんて気にしながら。それはそれでハラハラドキドキのスリルを味わったものだ。
四年前、塀から庭に降り立ったときに俺たちが感じたのは、この館に対するなんとも説明のつかない違和感だった。実際には、一風変わっている程度で建物自体はただの家にすぎない。なのに、まるで自分たちのいる場所が、はるか古代の遺跡か、未来の廃墟か、はたまた遠く離れた別の惑星の上のような、そんな奇妙な錯覚に襲われたんだ。
そしていま、小学校時代の俺たちが違和感を感じた理由がはっきりとわかった。
錯覚じゃなしに、本当に別の時間、別の空間にいたからだ。
いや、時間も空間も超越したそこにいたからだ。
館の玄関の前に立つ。差し招くように、ひとりでにドアが開いた。
中の様子もあのときと同じだった。廊下の先に十八人が余裕で入れるホールがある。列の最後尾にいたチコリがドアをくぐると、風のそよぎも、庭の木々の葉のざわめきもピタリと収まり、辺りはしんと静まり返った。音が世界から消えてしまったかのように。時そのものが止まったかのように。
俺たちはいま、四年前の記憶を完全に取り戻した。
ここで、俺たち六人は一匹のネコに出会った。全身真っ黒で、目は月のように青白く煌々と光っている。
それがシュレッドだった。
〈なぜきみたちがここにいる?〉
あのとき、彼は俺たちに向かっていきなり話しかけてきた。俺たちは相当腰を抜かしたっけ。
あまりの出来事に、みんな声も出せずコチコチに固まっていた中で、勇気を振り絞って口を開いたのが杏子だった。
「ご、ごめんなさい。あの、わ、私たち、決して怪しい者じゃないんです……」
いかにも杏子らしい受け答えだ。しゃべるネコなんて、これ以上怪しい相手もいないだろうに、一介の小学生が身の潔白を訴えてどうする?
けど、後から思えばいちばん適切な反応だったかもしれない。おかげで、俺たちの緊張もだいぶほどけたのだから。
シュレッド──当時は名を名乗らなかったけど──は、一人一人を値踏みするようにジロジロとながめながら、こう言った。正確には、口を動かして音声を発するんじゃなしに、俺たちの心に向かってじかに語りかけた。
〈確かにね。きみたちはただの地球のニンゲン、ホモ=サピエンスの未成熟個体にすぎない。けど、実際のところ、この時間線、この宙域に属する知的生命体で、ここに足を踏み入れることのできる者は、多くはない〉
「地球のニンゲンだとか知的生命だとか、そんな言い方や、テレパシーを使ったりできるとこを見ると、あなたやっぱり宇宙人なのね!? どこかにUFOでも隠してるの? 一体何の目的でやってきたの? まさか地球を侵略して、人類を滅ぼす気じゃないでしょうね!?」
小夜が堰を切ったように矢継ぎ早に質問を浴びせた。
「え~っ! ネコじゃなかったのぉ!?」
「当たり前だろ」
素っ頓狂な声をあげるひろみに、晴彰がうんざりしたように言う。
〈僕はこの宇宙には属さない。時空の運用管理者さ〉
当時小六にすぎなかった俺たちには、小夜や晴彰も含め、彼の用いた語句は理解不能だった。
今度は結莉が恐る恐る口にする。
「あの……あたし、この間ここでイヌやネコたちの声を聞いたもので、それでみんなにつきあってもらって、ここにいるのかどうか、確かめようと……」
ほとんど消え入りそうな声で、最後のほうは言いかけたまま尻すぼみになってしまう。
シュレッドは、まるで俺たちの心を読んだかのように、こう尋ねてきた。
〈例えば、僕が悪い宇宙人だとして、ここで身の毛もよだつ実験をしていたとしたら、きみたちはどうするつもりだったんだね?〉
「わ、悪い宇宙人さんなんですか!?」
びっくりして杏子が聞き返した。代わりに答えたのは晴彰だ。
「本当に悪い宇宙人だったら、仮定の話なんかしないで、いまごろとっくに俺たちをどうかしてるさ」
「でも、ワンコやニャンコたちをどうしたのかは、やっぱり聞いておきたいわね」
小夜はあくまで強気の姿勢を貫いた。学級委員長兼飼育係長だけのことはある。
〈どうしたと思うかね?〉
たぶん、俺たち全員がムッとした顔でシュレッドをにらんだからだろう。あるいは、やっぱり心を読んだのか。彼はすぐに降参して白旗を振った。
〈ああ、悪かった悪かった。きみたちは、成熟した地球人に比べてずいぶん……そう、まっすぐだ……〉
それからシュレッドは、無言のまま俺たちの足の間を歩きまわり、クンクンと臭いを嗅いだ。最後に俺のところへ来て、じっと俺の顔を見上げる。なぜか俺には、彼のサファイアのような澄んだ瞳に悲しみの色が浮かんだ気がした。
あのときすでに、シュレッドには俺たちの身に降りかかる運命がわかっていたんだろう。
〈うん。いいだろう。きみたちのESBは申し分ない。きみたちにも〝パスポート〟をあげる〉
「ESBってなに? それに、パスポートって?」
「ちょっと待って! 先にさっきの質問に答えてちょうだいよ。気になるじゃない」
俺が質問中のところに、小夜が割りこんでくる。
〈大丈夫だよ。ここを訪れる者には〝もう一つの世界〟を選択する機会が与えられるだけだ。きみたちは何も心配する必要はない〉
「もう一つの世界??」
俺の頭はクエスチョンマークで埋め尽くされてしまった。
〈対になる世界を用意してバランスを調整することで、宇宙の秩序を保つのが運用管理者の仕事なんでね〉
「それって答えになってんの? 言ってることがさっぱりわかんないんだけど」
小夜が口をとがらせて不平を言う。
〈いつか理解できる日が来るさ〉
シュレッドは言った。そのいつかが、まさにいまだったわけだが……。
〈この先、きみたちが抗えない運命に翻弄されたとき、そのパスポートが有効になる。そのとき、きみたちにはチャンスが与えられるだろう。チャンスを活かせるかどうかは、きみたち次第だけどね……。この特典をニンゲンが受けることは滅多にない。だが、きみたちにはその資格がある。なぜなら、きみたちには強固なESBを共有するパートナーがいるからだ。そのパートナーはすでにきみたちのそばにいるか、あるいは、これからきみたちのもとに現れるだろう。そして、いざというときに、きみたちの心強い味方となって、きみたちを支えてくれるだろう〉
俺たち六人は、だれもが腑に落ちない表情でシュレッドの説明に耳を傾けていた。
「パートナー? 私のいちばんの友達は、ここにいるみんなだよぉ」
ひろみが納得のいかない顔で尋ねた。
〈うむ、きみのところにはまだ来てないようだね。でも、近いうちに出会いがあるだろう〉
シュレッドは悪戯っぽく片目を吊り上げてみせた。ひろみはただ首をかしげるばかりだ。
彼女が最初の家族であるヒメと出会うのは、それから半年後のことだった。
〈さて、そろそろお開きの時間だ。きみたちとはいずれ次の機会に会うことになる。それまでは、今日の記憶は封印させてもらうよ。そうでないと、バグが生じていろいろ面倒だからね〉
「えーっ!? ちょ、ちょっと待ってよ! そんなのずるいってば! 言葉をしゃべるネコ型宇宙人に遭遇したなんていったら一大スクープだよ!? それを忘れちゃうなんて、超もったいないじゃん!」
小夜が抗議の声をあげたが、シュレッドは無視して別れの挨拶を述べた。
〈いまは、きみたち自身の人生を楽しむことだ。そのときが来るまで。じゃあね〉
気がついたら、俺たち六人は学校のそばにいた。それも、今日俺たちが集合する予定だったのと同じ時刻に。そして、〝謎の館〟にまつわる出来事は、俺たちの頭の中からきれいさっぱり切り取られていた……。
地球からはるか百三十億光年離れた〝もうひとつの世界〟で、俺たちは再び記憶を取り戻し、あのときと瓜二つの〝謎の館〟を訪れ、すべてのカギを握るゲームマスターと対面しようとしている。
これまでの謎がいま、何もかも明かされようとしている──